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バルサン視点でミソとかまやちゃんとかと会う話
2008年7月ぐらいに作成・・・
あれ?遡ってる・・・?


 

 

 

 


 日は暮れかけて、あたりの光を映すものはそろって赤く染まっている。
 普段だったら、強迫観念に駆られていると思うほど時間に正確な師匠の仕事場を出て家路についた頃だ。
 視界が悪くなる足場に気をつけながら、ぼくは竹林の中を進んでいった。なんとも爽やかな香りだが、今は構っていられない。
 朝、竹細工の材料を取りに来たとき、ぼくは大事なものを落としてしまった。どうして気がつかなかったのだろう。どうしていつも自分はこうなのだろう。と自責が渦巻いて仕方がないが、とにかくまだ完全に日が落ちる前までにそれを取りに行きたかった。
 幸いにして姉の経営している食堂は今日は定休日で、彼女が家に居るはずだから小さい甥姪たちがぼくの帰りを待って困ることもないだろう。
 ぼくにとって義兄に当たる、彼らの父は半年前に他界してしまった。本当は食堂も義兄のものだったのだが、義兄が死んでからも姉は続けることにした。それは家にとっての負担もとても大きい。まだ二人の子は幼い。それでも周囲の人が支えてくれたから、なんとか今日まで繋いでこれたのだろう。甥には、困ったら信頼できる向かいの家の方に助けを求めるように言ってある。師匠も気持ちが悪いほどぼくに家に帰るように促す。
 半年前の事件は、本当は被害は村全体の家々に起こったことなのだが、事件以降かえって村の中での結束が強まったように思える。若い男性を多く亡くした事件で、残された女性は互いに協力する術を選んだのだろう。託児所のように子供をすすんで預かる人も居る。向かいの家の方にも子供がいるが、もう一人で何でも出来る年頃なのでむしろその子が甥姪の面倒を見てくれているくらいだ。
 物事は悪いことばかりには進まないのだろう。
 だけど、今の状況は少々ではなくとても情けない。急いで探し物を見つけてぼくは帰りたかった。
 背の高い竹林はもはや真っ暗で、冷たい風が通り抜け、昼間ならば気持ちよく聞いていたであろう葉のこすれる音が不気味に感じる。
 ふいに並ぶ竹の途切れる境目から、ガサリと物音がした。たぬきか何かだと思うのだが、ぼくの心臓は跳ね上がった。
 恐る恐るそちらを見やると、たぬきのような大きな猫が居た。鼻周りが黒く、手足は黒い靴下を履いているようだ。上等な猫のようで体毛が非常に長い。
 なんともなしに小さい頃の記憶が引き出された。ぼくには少し年の離れた兄がいた。もしこの猫を兄が見ていたら、狂喜して後を付いて歩いただろう。
 幼い日、兄がぼくを連れて街の中を歩いていたら、目の前に大きな猫が現れた、ソレを見た彼はきゃーという奇声を発しながら猫を素早く追いかけて行ってしまった。そのとき6歳だったぼくは途方に暮れた。
 猫に対しては悪い感情は持っていない。むしろ好きなほうだ。だがその魅力が時として困ったことになるのだということを兄を通して学ばされてしまった。
 今目の前にいるたぬきのような猫は、ぼくのほうをじっと見ている。小さくにゃあ、となくと非常にゆっくり木々の並ぶ林のほうへ歩き始めた。そしてすぐに止まってぼくのほうを振り返り、またにゃあとないた。
 その仕草は、まるでぼくにこちらへ来いと言っているように見えた。
 化け猫に頭から食べられる自分の姿が脳裏を掠めた。これが猫でなかったら、もう少し印象の良い動物だったならば、何かのお告げを信じるようについていったかもしれない。
 にゃあ、にゃあ。と甘えるようになき続ける。だんだんとその声が悲痛な助けを呼ぶ声に聞こえてきた。
 このようなことは非常に困る。
 ぼくは歯を一度噛み締めると、猫の後をついていった。

 しまった、帰れなくなったらどうしよう。と心配になるほど奥へ進むと、大きな岩壁にぶち当たった。それから少し行くと開けた場所へ行き着く。
 何かが動く音がするので、ぼくは心臓が口から出るほど緊張しながら進んでいった。
 木立の隙間から覗くと、そこには金色の何かが居た。
 岩壁に張り付こうとして、その何かはすぐにずるずると崩れ落ちた。それはとても小さなシルエットだ。
 長い金髪の、女の子だった。
 「きみ、大丈夫?!」
 ぼくは大慌てで駆け寄った。あまりにも不自然なこの状況で、ぼくはその子が化物の類でないことを疑わなかったわけではない。なぜこんな辺鄙な土地の森の中に女の子が一人で居るのか、明らかに普通ではない。だけどぼくの性質が困っている子に手を貸さずに居られなかったようだ。
 その子はぼくの声を聞くと、驚いて冷水を浴びせられたように身を縮ませた。振り返ってぼくのほうを見る。
 涙を顔中にしみこませたそれは非常に痛々しく、見てるこちらまで悲しくなる。
 普段は毎日手入れをしているのが分かる綺麗な髪は乱れ、あちこちに落ち葉が絡まっている。不思議に拍車をかける、街で見かける良いところの娘さんのような服はところどころ破れ、そこから血がにじんでいた。
 岩の凹凸にかけられた指は爪が割れ岩壁に血の線を描いていた。
 「何をしているの、キミ大丈夫?!こんなになって・・・」
 ぼくが近寄ると彼女は身をこわばらせた後、はじけるように逃げ出そうとした。
 あ、と思う間もなくその子は転倒した。柔らかい落ち葉があたりに舞い上がる。
 急いでその小さな体を抱き起こすと、彼女は首を激しく振って抗議してきた。言葉は喋れないのだろうか。
 「どうしたの?何があるの?上に何かあるの?」
 ぼくが聞いても彼女はじたばた手足を振るだけで何も言わない。涙が溢れているのだが、口を開けて嗚咽を漏らすこともせず、ずっとへの字に閉じたままだった。
 「ね、落ち着いて、お願い。ぼくは何もしないから」
 野生の動物のように警戒する彼女を、ぼくは自分の腹を押さえつけるようにして抱きしめた。しばらくすると、窒息したんじゃないかと思うほど大人しくなった。体を離すと、彼女を地面に下ろす。
 ぺたんと座ったこの子の体は本当に小さかった。節々が折れてしまいそうにか弱い。どうしてこんな子が、夜の山林にいるのだろうか。
 少し落ち着いた彼女は震えながらぼくを見返してきた。
 「・・・どこから来たか言える?」
 ぼくは子供と接するときのように笑って言った。
 大きな青い目からぽろぽろと涙が溢れると、首を大きく振った。やはり話せない子なのだろう。
 「何か、大事なものがあるの?それは明日でも大丈夫なものかな」
 彼女は答えない。下を向いてしまった。
 一刻も早く、家に連れて治療をさせたいとぼくは思っている。身元は後でいいだろう。
 「今から、きみをぼくの家で保護したいと思ってるんだけどいいかな。明日、日が出たらまたきみをここに連れてきてあげる。約束する。それで大丈夫?」
 やはり彼女は答えなかった。仕方がないのでぼくは小さな体を抱きかかえ、自宅へと走った。
 そういえばあの猫はいつごろから姿を見なくなったか。

 なんとか迷わず家に帰り、扉を開けると姪が出迎えた。抱えた見慣れぬ女の子に、姪は目を白黒させて驚いていた。それからすぐ姉が駆けつけてきて、何があったかもほとんど聞かずに女の子をぼくからひったくって客間の長いすに寝かせた。
 それからすぐに細かい傷の応急手当をした。その間ずっと彼女は申し訳無さそうに顔をゆがめていた。
 姉が彼女に、村の医者にかかるかどうか聞いた。うつむいて首を振る。ぼくらも彼女の傷がほとんど浅いもので、子供が転んで作るくらいの傷に思えたのでそれで納得した。
 遠慮をして行きたくないのかもしれない。明日、彼女をあの場所へ連れて行く前か、その後に診療所へ連れて行ったほうが良いだろう。
  柔らかな食べ物を差し出したが、彼女は困ったように目線を下げ小さく頭を横に振るだけだった。お腹が空いていないとは思えないのだが。
 甥と姪を寝かせた後、ぼくと姉は彼女に詰め寄った。彼女は姉に対して何度も何度も頭を下げていた。
 「よしなさいよ。何があったか知らないけど、あんたみたいなちっちゃな子がボロボロになってて助けなかったら一生涯の恥になるところだね。親御さんとはぐれたんだろう?ここいらじゃあ、森以外にあるのはこの村だけだから、明日になったら村のみんなに聞いてみるからさ。安心して今日はおやすみ」
 姉はひとしきり言い終えると、ぼくの背中を叩いて子供部屋へ向かった。多分、服を脱いだら姉が叩いたところが赤くなっているだろう。
 彼女が座っている椅子の前で正座する形で見上げると、彼女は白い顔をぼくから遠ざけようと椅子の背に深くもたれた。姉との対応の違いから感じる、もしかしたら嫌われているのかもしれない。
 「あの・・・きみは喋れないんだよね」
 いい加減分かっていることなのだが一応確認を取りたかった。彼女はどんなときでも口を引き結んで開けようとしない。それが何か引っかかる。言葉が話せなくても声くらい出せるはずだろう。
 彼女は、首をふるふると小さく横に振った。
 ぼくの中で疑問が最大まで膨れた。が、すぐにしぼんだ。きっと何か事情があって喋らないのだろう。それを詮索するのは、良いことではない。話せるのに話さない理由。心の問題なのだろう。
 「本当はね。きみがどこから来て、どんな子なのか知りたいんだ。知っておかないといけないんだけどね。もし村に安心できない何かが起きる前触れだったら大変だから。・・・この村は、少し前に大変なことが起きた後だから、明日村のみんながきみを見たら・・・その、少し気にするかもしれない」
 まとまりのないぼくの言葉を、彼女は頬にわずかな緊張を見せながら聞いていた。
 10歳か、それ以上くらいの子に見える。砕けそうな四肢に、空気のように軽い体重。だけど整った身なり、貴族趣味のお人形のようにそろった金髪。こんな子があの場所で何をしていたのか。崖の上に一体何があったのか。この子が何か、危険な化物だとは到底思えない。草食動物のようにおびえている。だが不自然な点が恐怖感を生む。本当ならば言わずにそっと寝かせたいところなのだが、死んだ義兄の顔がちらついて聞かずにはおられなかった。
 話してくれるとは思えないが、何らかの反応を返してもらいたかった。
 「ごめんね。きみはきっととても良い子だろうから大丈夫だよね。この家のことは気にしなくていいんだよ。休みたいんだったらずっと休んでても良いんだ」
 小さな口がキュッと閉まった。ぼくにはその苦そうな顔が、迷惑はかけられない。と言っているように見えた。
 もう枯葉も取り除かれた綺麗な頭に、ぼくは出来るだけ優しく手を置いた。やはり彼女は驚いてビクッと動いたが、拒もうとはしなかった。
 その小さな丸い形を手で確かめながら撫でた。下から見るとよくわかるが、彼女の頬がだんだんに赤くなっていく。それでもぼくの手から逃れようとしないのだかその赤は怒りではないのだろう。少し安心した。
 ぼくが嬉しくて笑うと彼女は視線を右のほうへそらす。感情がほんの少し見えただけで、大分可愛らしく見えてきた。彼女の髪は絹糸のように綺麗で柔らかい。
 滅多に使わないがいざというときのために清掃を怠らなかった客室に、彼女をつれベッドへ寝かせた。明かりを落として就寝の挨拶をしてドアを閉めた。と同時に自分の腹が空腹を訴えてきた。
 いろいろとすっかり忘れていた。

 夜食を諦めた腹が奇妙な音で呼びかけるものだから、ぼくは仕方なしに自分のベッドから降りた。
 枕元のテーブルに置いてある携帯用の魔力燃料で光る明かりをつけて台所へ向かう。正式名称は忘れてしまったが、街に住んでいた頃からのお気に入りの品で、非常に長く使わせてもらっている。この村ではさすがに見かけないものだ。
 ふらふらと廊下を歩いていると、彼女が寝ている部屋の前まで来た。寝ているところを覗くのも悪いかもしれないがちゃんと寝ているか心配だったので少しだけドアを開けて様子を見た。
 視線が、かち合った。
 彼女はベッドから降りて暗い部屋をそろそろと歩いていた。ぼくが光源を持ってドアを開けたものだから、光を見て驚いた彼女は凄い形相でぼくを見たのだった。
 もちろんぼくだって驚いた。彼女はもう寝ているものだと思ったのだ。怪我をしていて、立てないほど疲労していたはずの女の子が眠くないはずがない。
 彼女自身寝てないといけないと思ったのか、ばつが悪そうに身を硬くしてうつむいている。ぼくは部屋に入った。
 きっと不安だったんだろう。何か大事なものを置いてきてしまったんだ。眠れなく、喋れなくなるくらい大事なものを。
 ぼくは小さなランプの取っ手をキュッと握った。
 「・・・行こうか。明日じゃ遅いんだよね。きみを見つけた場所で、いいんだよね」
 

 睡魔と疲労と空腹で2回ほどよろめいたが、なんとか彼女を見つけた場所までたどり着いた。迷わずこれたのは背中の彼女が申し訳無さそうに道の指示をしてくれたからだ。何度も踏み入ったことのあるぼくでさえ完璧には覚えられていないのに、村のものでもない彼女が全部記憶できているなんて、思えば思うほど不思議な子だ。
 彼女を背から下ろすと、力のない足取りで彼女はある一本の木の下に立った。
 見上げたが、暗すぎて天辺が見えない。
 木の幹に、彼女は小さな体をぶつけ始めた。体当たりで木を揺すろうとしている。
 ぼくはすぐにやめさせた。先に壊れるのは彼女のほうだろう。
 「この上に、何かあるの?揺すると落ちてくるもの?」
 聞くと彼女はこくんとうなずいた。
 姉よりは太くない幹を力任せに揺らしてみた、だが木の葉がざわざわこすれるばかりでまだ何も落ちてこない。
 しばらく根気よく揺らしていたが、どうも成果が上がらない。
 このままでは彼女が自分で木に登りかねない様子だったので、ぼくは半分怒り任せに助走をつけて木に飛び蹴りをした。
 思ったより振動は伝わったようで、一際ざわついてからぼとぼとと葉についた虫が落ちてきた。
 最後に一際大きなものが落ちて静かになった。
 彼女はその落ちてきた黒っぽい丸いものに駆け寄る。どうやら目当てのものがあったらしい。
 ぼくは安心して息を吐いた。
 その直後に生温かい空気を感じた。
 急いで彼女のところへ走った。誰も夜中の森が安全だなんて言っていない。ぼくは今日に入って一体いくつの忘れごとをしただろう。
 「危ない、すぐに戻ろう」
 小声で彼女に言うと、その小さな胸に抱かれた丸い何かと目があった。
 彼女の大事なものとはぬいぐるみだった。茶色い、おそらく犬だと思われる首と胴体が一枚か二枚の布で出来ていそうな単純なフォルムだ。手足にいたっては黒い紐を垂らされているだけの。彼女自身の凝った服とはどこか不釣合いな庶民的なものだった。
 そのぬいぐるみが、本当にぼくをじっと見ている。糸で描かれた口が動いた。
 「うおう。どなたですか」
 男の声が聞こえた。もちろん彼女の声ではない、そうあって欲しくない。やはり喋ったのはこのぬいぐるみだろうか。
 ぼくは今の事態に自然に汗が流れた。
 困ったことに、周囲にはもう逃げ切れるか不安なほど近くに捕食者がいる。頭の中で家族の顔がめまぐるしく駆け巡っている。なのにぼくは、今、このぬいぐるみとのコミュニケーションをどんな態度で接するべきか、友好関係が築けるかどうか真っ先に心配してしまった。
 緊張感のないぬいぐるみの顔が、ひどく切ない。
 「どなたというか、ぼくはバルって言うんだけど・・・じゃなくて、今とても怖い状況なんだ。打開策が思いついたらいつでも言ってね」 
 彼女の口が小さく動いて、「犬・・・」とつぶやくとぬいぐるみの背中をかじった。
 「あだだだだだ、痛い痛い痛い、もう大丈夫起きてるって、いやむしろ寝てなんかないってやべべべべ」
 どういった原理なのかはもう気にしないが、ぬいぐるみの四肢であろう黒い紐が鰹節のように踊っている。
 何の液体なのか全く気にならないが目から涙のような汁が分泌されている。
 ひとしきり彼女はかじり終えると、ぬいぐるみを地面に投げ捨てた。軽く跳ねてからぬいぐるみは立ち上がる。なんとも間抜けな姿だ。
 男らしくない後姿越しに、捕食者が姿を見せた。十数体の、子供が好きそうな明るい色合いの花を咲かせた動物たち。正確には動物に寄生した植物だ。人を襲うという話を聞かないので名前は思い出せない種類だが、確かにこの地に生息している。どうやら養分が必要な時期らしい。
 ぼくは彼女を抱き上げて後ずさりした。
 後ろは、岩壁。
 「ぐへえー、寝起きに労働って辛いと思うのよ」
 ぬいぐるみの彼が何か希望が持てそうなことを言ったが、全然心強くない。
 左腕で小さくなっている彼女がぼくを見上げて言った。
 「あいつ」
 ぼくが、え?と言う前か後に、ぬいぐるみのシルエットが空気に溶けるように分解されて跡形もなくなっていた。
 ランプはもう遅いかもしれないが消していたので、ぬいぐるみの彼がどこへ行ったかすぐにはわからなかった。その直後、熊の激しい咆哮が聞こえ、獣同士の戦いに似た音がしてから、巨体が地面に沈んでいった。
 巨犬が上から落ちてきたものに頭を潰された。犬の砕けた頭蓋の上に立っているのは見知らぬ青年だ。
 近くの狼が青年に向かって飛び掛った。大きく開けられた口に腕を突っ込み、飛び掛った勢いを流すように狼の体を振る。引き抜かれた彼の手にはどす黒い舌が掴まれていた。
 おもむろにそれを投げ捨てると、すぐに彼は飛び上がって上の枝を掴んでぶら下がった。足元では狐がむなしく空を噛みつく。枝を折ると、木の間を飛ぶように駆けた。見失った瞬間に、彼が折った枝がサルの口から覗いていた。
 ぼくはただ、呆然と立ち尽くしていた。あまりにも速すぎる。そして鮮やかだった。
 彼の顔を見たときからずっと、カイエのことがちらついてしょうがなかったのだが、再び今戦っている彼の顔を見ると何かが結びついた。
 顔がそっくりだ。
 丸い顔の線や大きな目に三白眼、影ばかり強く見える不思議な肌色。幾分かカイエより彼のほうが印象が柔らかい。
 最後のたぬきの花をちぎり取ったところで、彼はぼくらに向き直った。
 こんな凄まじい戦いの後で笑っているが、奥の感情が読みきれない。
 「少々汚い身なりで申し訳ないと思います。ときどき人になるぬいぐるみのカンです」
 言って彼は頭を深々と下げた。確かに彼の服にはところどころ返り血と泥でひどく汚れている。
 ぼくの腕の中から彼女がすすっと逃げ出すと、カンの元へ駆け寄った。血に迷うことなく彼女は彼に飛びついた。
 「多分、自己紹介してないと思うから。えぇと。この子はミソです」
 「・・・ミリです」
 統一されない呼称だが、おそらく彼女が小声で言ったほうが正しいのだろう。
 カンはミリの頭を抑えるとぼくに対して頭を下げさせた。
 「この度は、何やら僕が怪鳥にさらわれて崖の巣にお持ち帰りされてる間に大変、えぇとバルさんにご迷惑をおかけしたような気がするのです。風で転がって木に引っかかってなかったら今頃どうなっていたことやら」
 「いえ、やめてください当然のことをしただけです。今だって、カンさんに助けてもらったわけですし」
 彼はどうも、ぬいぐるみのときより喋り方が丁寧なような気がする。いや、なぜ彼がぬいぐるみからカイエ似の青年になったのか新しい不思議が浮上したがどうしたものか。
 「ああ、僕ならば親しみこめて『カンちゃん』で良いので、だったら僕はバルさんのことをバルサンと呼びますので」
 丁寧な中でかなり大胆なところが垣間見られる。あまり知り合いに居ない話し方なので、ぼくは少し戸惑った。
 次に何を言おうか迷っている間に、カンはミリを抱き上げた。彼の腕は骨や筋肉の隆起の見えない一定の細さを保ったまま手首まで行く不思議なものだった。あの腕がどうしてそんな力を出せたのだろうか。
 「じゃあ、帰りましょうか」
 「え?」
 「いや、バルサンのおうちに」
 確かにもっともな事を彼は言っているはずなんだが、心にもやもやしたものが残る。

 湿った空気のにおいをかぎながら、夜明け前の家まで歩いた。ぼくの疲労はもはや頂点に達していて、彼らと話せるような状況じゃなかった。
 何事もない風を装いながら家に上がり、客間に彼らを座らせた。
 水を持ってきて初めて気がついたが、ミリはずいぶん前から眠っていたようだ。カンを背もたれにしながら、顔を傾けて口を開けたまま小さく寝息を漏らしている。
 年相応の可愛らしい寝顔を見れて満足したぼくはカンに向き直った。例によってぼくは正座をしている。
 それを見たカンはミリを起こさないようにゆっくり椅子から降りると、ぼくのすぐ前に向き合うようにあぐらをかいてそこにミリを寝かせた。
 「少々眠くて頭が回りませんが、カンちゃん。差し支えなければぼくに事情を話してもらえないかなあ」
 たぶん、今のぼくは目がぎりぎりで開いていないような顔になっているだろう。
 今彼らから何も聞かずに寝てしまったら、きっと彼らは幻のように居なくなってしまうような気がした。ぼくはなんとしてでも彼らの事情を知りたかった。
 「差し支えある部分ははしょるから大丈夫。ところでお腹が空いたんだけれど、バルサン的にはどう思う?」
 「ああ、お腹減るんですか、おっとすいません。失言。眠くて口が滑りました・・・。あと何時間もしないで姉が起きると思うのでそれまで我慢してくれると信じてます」
 眠っている子の前でこんなに会話してしまって大丈夫だろうか。薄目を開いてぼくはミリを見た。彼女は全く起きる様子はない。
 「信頼されているんじゃしょうがない。我慢しようか。とりあえず、先にお礼を言いたい。ミソのこと。本当にありがとうございました」
 少し真面目な語調になってから彼は深く頭を下げた。
 「ぼくはただ、出来ることをしたかっただけです」
 「そうですか。では頭を上げていいですか」
 「えぇと・・・好きにしてください」
 なんとも掴み所のない発言をした後、あげられた彼の表情は照れくさそうに笑っていた。少し目が潤んでいる。
 「僕らは元々はアドニアの北東部の農村に住んでいました。不作続きで家族が食べる分の食料を確保するのもままならず、当時体が弱かった僕は、僕の家で預かっていたミソを連れて家を出ることにしました。それで現在に至ります」
 ぼくが聞きたかったところは全て回避されている。家で預かっていた子を連れて出てきてしまって良いのだろうか。
 「それはそれは・・・」
 聞く勇気が出ない。
 「なぜ体が弱かったかと言うと、まあ、めんどくさいことに4つのときに僕、死にかけまして。なんか高いところから落ちたとかなんとかで。きちんと正式に息を吹き返さなかった、なんといいますか。魂を留めとく金具が壊れかけたまま体に戻っちゃいまして。それ以来すっぽんすっぽん死に掛けるようになったのです」
 「と、言うと。以前からぬいぐるみだったわけではないということですか?」
 彼は笑ってうなずいた。
 「ぬいぐるみになったのは旅に出てから。まあまた僕死んじゃいまして、ミソに助けられました。いやあ気がついたら体がぬいぐるみになってて驚いた後なぜか笑いがこみあげて笑ってから泣きました。どうやってぬいぐるみになったのかは聞かないでね。僕にもわからないから」
 ぼくは、とても複雑な気持ちになった。彼の今までの事情は決して笑ってすませられることではない。それなのに彼は始終、「こういうこともあるさ」という顔で話している。自分が何者になったのか分からなくて怖くないのだろうか。
 「そんな顔しないでバルサン。僕は機械の体じゃなくてソフトボディを手に入れたけど良いことのほうが多いんだから。前は、ちょっと走っただけで魂が抜けちゃったりしたけど、今ではぴったりぬいぐるみのほうにはめ込まれて離れないから。それに人間だった頃の姿だって今こうして保っていられるし。分解して組み込んであるとかないとか。まあ、何よりやけに体が動くようになって、こういう言い方もなんだけど強くなったと思う」
 言いながら彼はミリの髪を撫でた。
 彼は今日まで一体何を失いながら生きてきたのか。まるで手元にあるのは彼女だけ。と言っているように慈しんで優しく触れている。
 「きっとカンちゃんの魂が善良だったから、何度も助かってきたんじゃないかなあ・・・。すいません、何にも分かってないぼくが言うのも悪いけど。今聞いたことはぼくじゃあとても受け入れられない。カンちゃんだったからこそ、今があるんじゃないかな」
  ぼくが言うと、彼は目を丸くした。何を言っているんだこいつは。と思われているような気がする。
 それから口の端から吹き出す様に笑った。
 「バルサンは、“日ごろの行い”に対して非常に良い考えを持ってるんだね。もし本当に僕が善良ならば、いつか会えるかなあ・・・」
 思わずぼくは間髪入れずに、「どなたにですか?」と聞いてしまった。期待したとおりの答えが聞けそうな気がしたのだろう。その間の狭さに気を悪くしていないか言ってから後悔したが、彼の表情に変わりはない。だが少々頬の肉が下がったように思えた。
 「僕がこう、この椅子よりも背が低くて可愛かった頃に産まれた弟が居ました。もちろんそのときのことは覚えていないんですが。みんな大喜びだったそうです。その年は天候にも恵まれて村全体の雰囲気も良かったそうで。だけど、弟は空気を吸いはじめて1年も経たないうちに姿を消しました。一人でどこかに行ったというのは考えにくく、人攫いの可能性は今まで全く例がなかった村だったので利点が考えづらかったことから、神といいましょうか、名のある霊に連れて行かれたということにされてしまいました」
 「それでその、弟さんを探している・・・?」
 「いやあよく分かりましたね。その通り、僕があんまり駄目な子だったもんで疎まれてる時とかに、ふっと思い出すんですね『そういえば他にも弟がいたんだなあ』と、結構こうなってくるとどんなヤツなのか会ってみたくなるもんで」
 カンは弟が生きているという前提で話している。普通だったらまず弟の生存のことなんて考えないだろう。数ヶ月前にこの村に起こった出来事で、ぼくは人間の命の脆さを知ってしまっている。だが仮に、霊的なものにさらわれたとしたら食物としての理由でなければ生きている希望が持てる。だがそんな顔も覚えていないような頃の弟なんて見つけられるとは到底思えない。
 このイムナ村とアドニアでは怖ろしく距離がある。彼は弟を探してここまで来てしまったということか。
 それには強い思いがあるのだと、ぼくは思った。そしてひどく目頭が痛くなった。
 「もしかしたら僕よりも善良だろうと思われるバルサンは真正面から信じてしまったのかなあ。やだなあ、ただの言い訳なのに。僕はただミリとどこか遠くに行きたかっただけなんだあ」
 「そんなことない」
 「そうだよ。買いかぶらないで、僕がしたいことはホントはただミリと一緒に生きたいだけ」
 上った朝日がカンの顔を半分だけ照らした。


 巨大な猫がぼくのほうを見ていた。
 中型犬くらいはありそうだ。顔と耳と手足と尾の先端が黒っぽく毛の多い猫だ。空のような青い瞳が綺麗だった。
 やけに頭がぼんやりしている。そうだ眠っていたのだ。
 大きな猫はぼくの周りをぐるりと歩いてから、背中を飛び越えてまた顔の前までやってきた。ふさふさの毛が顔に当たる。独特の匂いがするがとても気持ちよかった。
 また目を閉じかけたとき、とても大事なことを思い出した。
 仕事に行かなければ。
 飛び起きたら猫は驚いてどこかへ走り去っていった。
 そういえばあの猫は昨晩ぼくをミリのところへ連れてきた猫ではなかっただろうか。 
 どうやら事情を聞いてから朝食を食べ、自室に戻った時に眠ってしまったようだ。ぼくは大急ぎで部屋を出た。 
 「キャアアアー」
 足元から気持ちの悪い男の悲鳴が聞こえてきた。
 カンだ。
 ぬいぐるみがぼくの足の下でもそもそと蠢いている。
 「気持ち良く人んちの廊下をてっくてくしてたら何この超重量!死ねる!しまったこの圧迫感、気分が昂ってきたー!」
 その様子を、ミリと甥と姪が部屋の扉から3段になって眺めてクスクス笑っていた。

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